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己こそ己の寄るべ
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- 思想家哲学者
己こそ己の寄るべ、己を措きて、誰に寄るべぞ、良く整えし己にこそ、まこと得がたき寄るべなり。(法句経/少林寺拳法年少部読本1983年版より)
少林寺拳法(金剛禅)の自己確立という教えを判りやすく表した内容ですが、元は法句経と言う根本仏教(金剛禅では釈尊の正しい教えという表現をしています)の中の一節です。
ビジネスにおいても人生においても、信頼できる自分自身を作り上げること、それが一番大事だと、私はそう思います。
信頼できる自分自身とは、自己愛や自意識過剰、自信過剰とは異なるものです。
自分が何が出来て何が出来ないのかを把握することで得られる自己肯定感。自分自身に対してYES!と言える信頼感。
これは、他者からの信頼と同様、一朝一夕には身に付きません。
日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり。
少林寺拳法(金剛禅)の自己確立という教えを判りやすく表した内容ですが、元は法句経と言う根本仏教(金剛禅では釈尊の正しい教えという表現をしています)の中の一節です。
ビジネスにおいても人生においても、信頼できる自分自身を作り上げること、それが一番大事だと、私はそう思います。
信頼できる自分自身とは、自己愛や自意識過剰、自信過剰とは異なるものです。
自分が何が出来て何が出来ないのかを把握することで得られる自己肯定感。自分自身に対してYES!と言える信頼感。
これは、他者からの信頼と同様、一朝一夕には身に付きません。
日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり。
法句経 (講談社学術文庫 (679)) (1985/03/06) 友松 圓諦 商品詳細を見る |
自分軸は自分の中に
自分軸は自分の中にあるもので人に押し付けるものではありません。
自分の軸を持つことは大切ですし、自営業者や経営者であればなおさらですが、そのポリシーを顧客に押し付けてはビジネスとしては失格です。
顧客に合わせて媚びろということではありません。ポリシーに合わないと思ったら取引をやめるということです。
あるいは顧客の方から離れていくかもしれません。
その時に、強引に顧客を引きとめようとしたり、顧客の悪口を言ったりしないということです。
これは、ぶっちゃけて言うと相性の問題なので、敵とか味方とか言った問題ではありません。
競合のライバル会社であれば敵・味方があるかもしれませんが、顧客との間に敵・味方と言う関係は存在しません。
なぜなら、貴方の商品・サービスを選ぶ選択権は顧客にあるからです。
(もちろん、提供側にも顧客を選ぶ権利がありますが)
選ぶ選ばれる関係であって競い合う関係ではないのに敵・味方って、おかしくありません?
ライバルとしての敵であればたくさん作れば良いと思います。その方が切磋琢磨する理由にもなりますし、人によっては楽しいと感じるでしょう。
でも、顧客あるいは顧客となりうる人を敵にしても何もメリットはありません。
なぜなら相手を間違えているからです。
と言うか、顧客を敵にしたらビジネスとしては終りです。だって、お金はお客様からしかもらえないんですから。
コンサル系のビジネスに多いですが、自分の軸(ポリシー)がビジネスと直結している、あるいは連動していて、自分のポリシーを伝えることがビジネスとして必要な場合は、相手に合わせて伝え方を変える必要があります。
顧客に合わせて内容を変えるのは媚びですが、伝え方を変えるのは配慮や工夫と言う奴です。
仏教の根本は三法印と四諦八正道が総てです。
しかし、仏教には多くの経典や宗派があります。もちろんどの宗派であっても、正しい師について学べば最終的に三法印と四諦八正道に行き着きます。
では、なぜこんなに多くの経典や宗派があるのでしょうか?
お釈迦様は教えを説くとき、弟子の能力や性格、経験、状況などに合わせて説明の仕方を変えました。
いわゆる対機説法というものです。
このため、弟子の数だけ経典があり、経典(説法)の傾向毎に宗派が分かれたワケです。
大雑把に言うとこんな感じです。
つまり、お釈迦様ですら、同じ内容(仏法)を伝えるのに、相手に合わせて教え方を変えたわけです。
真理だから、ポリシーだから、と言ってすべての弟子に同じように教えたわけではないのです。
もしお釈迦様がどの弟子にも同じように教えていたなら、仏教はここまで広がらなかったでしょう。
であれば、凡夫である我々が何かを人に伝えようと思ったら当然、お釈迦様と同じように相手に合わせて伝え方を変えなければいけません。
お釈迦様のように上手く出来る保証はありませんが、お釈迦様に出来ないことは我々に出来るはずがないからです。
自分軸は大切ですが、人に押し付けるものではありません。
人に伝えるときは、押し付けにならない様に伝え方を工夫する必要があります。
う~ん、なんだろう?
上手く話がまとまらない。いつもならもう寝てる時間だからかな?
自分の軸を持つことは大切ですし、自営業者や経営者であればなおさらですが、そのポリシーを顧客に押し付けてはビジネスとしては失格です。
顧客に合わせて媚びろということではありません。ポリシーに合わないと思ったら取引をやめるということです。
あるいは顧客の方から離れていくかもしれません。
その時に、強引に顧客を引きとめようとしたり、顧客の悪口を言ったりしないということです。
これは、ぶっちゃけて言うと相性の問題なので、敵とか味方とか言った問題ではありません。
競合のライバル会社であれば敵・味方があるかもしれませんが、顧客との間に敵・味方と言う関係は存在しません。
なぜなら、貴方の商品・サービスを選ぶ選択権は顧客にあるからです。
(もちろん、提供側にも顧客を選ぶ権利がありますが)
選ぶ選ばれる関係であって競い合う関係ではないのに敵・味方って、おかしくありません?
ライバルとしての敵であればたくさん作れば良いと思います。その方が切磋琢磨する理由にもなりますし、人によっては楽しいと感じるでしょう。
でも、顧客あるいは顧客となりうる人を敵にしても何もメリットはありません。
なぜなら相手を間違えているからです。
と言うか、顧客を敵にしたらビジネスとしては終りです。だって、お金はお客様からしかもらえないんですから。
コンサル系のビジネスに多いですが、自分の軸(ポリシー)がビジネスと直結している、あるいは連動していて、自分のポリシーを伝えることがビジネスとして必要な場合は、相手に合わせて伝え方を変える必要があります。
顧客に合わせて内容を変えるのは媚びですが、伝え方を変えるのは配慮や工夫と言う奴です。
仏教の根本は三法印と四諦八正道が総てです。
しかし、仏教には多くの経典や宗派があります。もちろんどの宗派であっても、正しい師について学べば最終的に三法印と四諦八正道に行き着きます。
では、なぜこんなに多くの経典や宗派があるのでしょうか?
お釈迦様は教えを説くとき、弟子の能力や性格、経験、状況などに合わせて説明の仕方を変えました。
いわゆる対機説法というものです。
このため、弟子の数だけ経典があり、経典(説法)の傾向毎に宗派が分かれたワケです。
大雑把に言うとこんな感じです。
つまり、お釈迦様ですら、同じ内容(仏法)を伝えるのに、相手に合わせて教え方を変えたわけです。
真理だから、ポリシーだから、と言ってすべての弟子に同じように教えたわけではないのです。
もしお釈迦様がどの弟子にも同じように教えていたなら、仏教はここまで広がらなかったでしょう。
であれば、凡夫である我々が何かを人に伝えようと思ったら当然、お釈迦様と同じように相手に合わせて伝え方を変えなければいけません。
お釈迦様のように上手く出来る保証はありませんが、お釈迦様に出来ないことは我々に出来るはずがないからです。
自分軸は大切ですが、人に押し付けるものではありません。
人に伝えるときは、押し付けにならない様に伝え方を工夫する必要があります。
う~ん、なんだろう?
上手く話がまとまらない。いつもならもう寝てる時間だからかな?
自己確立、自他共楽、漸々修学。
自己確立、自他共楽、漸々修学。
私の軸の総て。
私も一応人間なので落ち込んだり憂鬱になることもありますが、周りからは自信の塊のように思われている節が多々あります。
この世に真に頼れるものは、最初と最後は自分自身しかありません。
それを知っていれば、安心立命を得るためには自己を律して、自分自身を常に成長させていくしかありません。すなわち自己確立です。
落ち込み休息することはあっても、後退することは有り得ないのです。
私の内心はともかく、前に進む人間は周りからは自信ありげに見えるのかも知れません。
半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを。
自分が成長するためには周りの協力も必要です。まず自己を律し、それによって得られる力で周囲の手助けをする。
情けは他人の為ならず。
行為(好意)の返報性からも、良いことも悪いことも、姿を変え形を変え、必ず自分に返ってきます。
善因善果、悪因悪果。
自分だけでなく周りの幸福も(半分ぐらいは)考え行動できる、そういう輪が広がれば現世は確実に理想郷に近づきます。
自他共楽の思想は信じる信じないではありません。行動するかしないかなのです。
面と向かっては否定しませんが、「信じなさい」と言う宗教を私は嫌いです。
信じるものが違えば争いの原因にしかならないからです。
釈尊の正しい教えとは「信じなさい」ではなく世の中(の根本実相)を「知りなさい」なのです。
もし自分自身、あなた自身以外のものを「信じなさい」と強制するモノがあれば、それが宗教であれ営業であれ眉に唾をつけて聞いたほうが良いでしょう。
漸々修学。
自己確立も自他共楽も一朝一夕には成りません。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
日々修行を続けていくことが重要であり、世の中に出回っている総ての成功哲学に共通する成功への近道なのです。
金剛禅総本山少林寺の教えである自己確立、自他共楽、漸々修学の私なりの解釈であり、軸です。
私の軸の総て。
私も一応人間なので落ち込んだり憂鬱になることもありますが、周りからは自信の塊のように思われている節が多々あります。
この世に真に頼れるものは、最初と最後は自分自身しかありません。
それを知っていれば、安心立命を得るためには自己を律して、自分自身を常に成長させていくしかありません。すなわち自己確立です。
落ち込み休息することはあっても、後退することは有り得ないのです。
私の内心はともかく、前に進む人間は周りからは自信ありげに見えるのかも知れません。
半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを。
自分が成長するためには周りの協力も必要です。まず自己を律し、それによって得られる力で周囲の手助けをする。
情けは他人の為ならず。
行為(好意)の返報性からも、良いことも悪いことも、姿を変え形を変え、必ず自分に返ってきます。
善因善果、悪因悪果。
自分だけでなく周りの幸福も(半分ぐらいは)考え行動できる、そういう輪が広がれば現世は確実に理想郷に近づきます。
自他共楽の思想は信じる信じないではありません。行動するかしないかなのです。
面と向かっては否定しませんが、「信じなさい」と言う宗教を私は嫌いです。
信じるものが違えば争いの原因にしかならないからです。
釈尊の正しい教えとは「信じなさい」ではなく世の中(の根本実相)を「知りなさい」なのです。
もし自分自身、あなた自身以外のものを「信じなさい」と強制するモノがあれば、それが宗教であれ営業であれ眉に唾をつけて聞いたほうが良いでしょう。
漸々修学。
自己確立も自他共楽も一朝一夕には成りません。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
日々修行を続けていくことが重要であり、世の中に出回っている総ての成功哲学に共通する成功への近道なのです。
金剛禅総本山少林寺の教えである自己確立、自他共楽、漸々修学の私なりの解釈であり、軸です。
世界の中心
私にとって世界の中心は私です。
貴方にとって世界の中心は貴方であるはずです。
私の人生は私のものであり誰のものでもありません。
貴方の人生は貴方のものであり誰のものでもないはずです。
毀誉褒貶も艱難辛苦もただ人生と言う物語の一部でしかありません。
誰かに、または組織に、あるいは社会に尽くす無私の人生であっても、その生き方を選んだその人自身の人生であり、その人にとって世界の中心はその人自身でしかなのです。
世界の中心が自分であるという考えは、いわゆる自己中ということではありません。
自分の人生は自分が主人公なのだから、もっと主体性を持って生きなければいけないということです。
伝記や偉人伝に登場する人物に、自分自身がなるということです。
不愉快な事態に耐えるのも抗うのも選ぶのは自分。
人生を面白くするのもつまらなくするのも自分自身と言うことです。
つまり、自分の人生を本当の意味でコントロールできるのは自分自身だけであるということ。
天上天下唯我独尊とは本来そう言う意味なのだと、小学2年生のときに悟りました。
基本的な考え方は今も変わっていません。
もしかしたら単に成長してないだけかもしれません。
人によっては「世界」を「認識」と言う言葉に置き換えた方が判りやすいかもしれません。
ちなみに、人間は自分より上の存在を認識したり理解したり出来ないそうです。
あなたの世界の中心はあなたですか?あなたはそこにいますか?
貴方にとって世界の中心は貴方であるはずです。
私の人生は私のものであり誰のものでもありません。
貴方の人生は貴方のものであり誰のものでもないはずです。
毀誉褒貶も艱難辛苦もただ人生と言う物語の一部でしかありません。
誰かに、または組織に、あるいは社会に尽くす無私の人生であっても、その生き方を選んだその人自身の人生であり、その人にとって世界の中心はその人自身でしかなのです。
世界の中心が自分であるという考えは、いわゆる自己中ということではありません。
自分の人生は自分が主人公なのだから、もっと主体性を持って生きなければいけないということです。
伝記や偉人伝に登場する人物に、自分自身がなるということです。
不愉快な事態に耐えるのも抗うのも選ぶのは自分。
人生を面白くするのもつまらなくするのも自分自身と言うことです。
つまり、自分の人生を本当の意味でコントロールできるのは自分自身だけであるということ。
天上天下唯我独尊とは本来そう言う意味なのだと、小学2年生のときに悟りました。
基本的な考え方は今も変わっていません。
もしかしたら単に成長してないだけかもしれません。
人によっては「世界」を「認識」と言う言葉に置き換えた方が判りやすいかもしれません。
ちなみに、人間は自分より上の存在を認識したり理解したり出来ないそうです。
あなたの世界の中心はあなたですか?あなたはそこにいますか?