教養の有無は、知識の多少ではなく、努力の的を自分で据えられるか否かにある。 (小説「管仲」/宮城谷昌光)

知識はいくら幅広く覚えても、使わなければ徐々に忘れていってしまいます。
何のための努力なのか、それを意識し、取り組むのが教養の源なのではないかと思います。

作中で故人の言葉として出てきた台詞なので正確な元ネタはわかりません。
故事なのか諺なのか、作者の作文なのか。

しかし、心すべき言葉だと思います。 
私はそう思います。 

管仲〈上〉 (文春文庫)
宮城谷 昌光
文藝春秋
2006-07