日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり。

名言・故事・名セリフと駄文をお届けするIT経営コンサルタント川上賢人のブログ。自称『どちらかと言えば天才』がちょっと格好良い事とかを書いてみるチラシの裏。

    カテゴリ:今日の言葉(名言名句) > 宗教家・教育者

    世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。 (ケント・M・キース)

    マザー・テレサの逆説の10ヶ条から。

    残念ながら世の中の多くの人は目が見えず耳が聞こえないのです。(比喩的な意味で)

    人は見たいものだけを見、聞きたいことをだけを聞き、自分自身のフィルターを通して判断します。
    そして、知識が足りず、感情をコントロールすることが苦手な人間ほど自分の(短期的な)利益にしか興味が向きません。

    それでも、世界のために最善を尽くすのが理想ではあると思うのです。

    自戒を込めて。
     

     

    人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。 (ケント・M・キース)

    マザー・テレサの逆説の10ヶ条から。

    人を助けたとしても、必ず感謝されるとは限りません。
    残念ながら善意が通じないのはドラマや映画の中だけの話ではないのです。

    それでも、人を助けるべきだと言います。

    何故なのかは逆説の10ヶ条には述べられていません。
    彼らは宗教的背景によってそれが神の教えだからとでも言うかもしれません。 

    しかし、人が人を助けるのに本当は理由なんか要らないのです。

    人間の本性は善であり、東洋的に言えば、惻隠の情が根本にはあるからです。
    善意とはその発露でしかないのです。

    私はそう思います。
     

     

    何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。 (ケント・M・キース)

    マザー・テレサの逆説の10ヶ条から。

    実際に失ってしまうと、再起にはかなりの気力を要するのですが、、、

    それでも、失うことを恐れて何もしないのは「自分自身に対する背信」だと言えます。
    私はそう思います。


     

    人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。 (ケント・M・キース)

    マザー・テレサの逆説の10ヶ条から。

    判官贔屓というのは日本人だけでなく、どこの国でも人間一般的な傾向の様ですが、だからと言って、実際に弱者のために力を貸そうという人間は決して多くはないのです。

    まあ、マザー・テレサのような宗教家でもなければ、守られるべき弱者かどうかの判断にはケースバイケースで一考の余地はあると思いますが。
    それでも、弱者のために尽力するのは、たとえ偽善と言われてもやらないよりはやった方が良いのです。

    私はそう思います。



     

    最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。(ケント・M・キース)

    マザー・テレサの逆説の10ヶ条から。

    他人の足を引っ張り、妬み嫉みで背中を撃つのはいつだって小人物なのです。
    いつだってそうです。間違いない。




     

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