南無八幡大菩薩 (中略) 願わくはあの扇の真中射させ給え。 (那須与一)

と言うことで全国一斉神頼みの時期までカウントダウンな大晦日。
神社で願い事をする風習っていつ頃から始まったんでしょうね?
いまでは当たり前の様になってますが。

そもそも神社って、神仏習合の名残で仏教系の仏や明神が祀られているところもあったりしますが、基本的には祖霊を祀っているわけです。
古事記や日本書紀に出てくるような大物もいますが、大半は地元で功績のあった英霊や、祟神や妖神を鎮めるためのものであったりするワケです。
初詣人気スポットの1つ太宰府天満宮の菅原道真とかまさに左遷されて祟神になったのを鎮めるために祀ったもの。

一切衆生の救済を掲げる阿弥陀仏とかならともかく、祟神や妖神や英霊に、正月にふらっとやってきてお願い事されたからって、それを叶えてやる義理は無いですよね。
まあ、神話や伝承では気まぐれな方が多いので、運が良ければ気まぐれに願いを叶えてくれるってのはあるかも知れませんが。

閑話休題

出典は忘れましたが昔、神社は願い事をする場ではなく誓いを立てる場だ、と言うのを聞いて妙に得心が行ったのを覚えています。
いわゆる誓願と言うヤツですね。
それ以来、神社では(少なくとも個人的な)願掛けはしなくなりました。

大学受験のときも、絵馬に「合格しますように」ではなく「合格してみせる」と書いて奉納しました。
たいした偏差値の大学ではありませんでしたが、もちろん合格。
やはり、神頼みで運を天に任せるより、誓いを立てた方が実力も行動へのモチベーションはあがる気がします。

現実世界でも「私は○○のための活動をしています。」と公言して行動してれば意外と支援者や協力者は現れるもの。
○○になったら良いな、と思っているだけでは状況は変わりませんが、○○したいと思って行動すれば意外と周りも助けてくれるものです。
神仏もそれと同じじゃないかと思うのです。

そんなワケで(人混みが嫌いなので)正月三が日に行くことは少ないですが毎年初詣には行ってますし、毎月の1日に朔詣ですることもありますが、相変わらず神社でお願い事をすることはありません。
感覚的には単なる挨拶回りですね。

とは言っても、お賽銭入れて手を合わせるのに何も考えないのも勿体無いので、ここ十数年はいつも同じ願い事をしています。

『世界人類が平和でありますように。』

自分のことは自分の力で。自分の手に余る事柄は天(神様)に。
正月ぐらい私利私欲を離れて天下国家や世界のことを考えてみるのも格好良いんじゃないかと思います。

もし貴方の願い事が「何か良いことがありますように」ぐらいの内容でしかないなら、一緒に世界の平和を祈ってみませんか?

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